2016/12/26

旅は道連れ自転車でcon Immo 〜Ecuador vol.3〜


◆"沙悟浄との再会、そしてChimborazo山へ"の巻◆

◆ここまでのあらすじ◆

三蔵法師(Shizuka)は孫悟空(tomoki)と猪八戒(Lalo)と沙悟浄(Immo)と白馬(Hannes)と共に天竺(norte argentina)へお経を取りに自転車を漕ぎ始めました。
しかし白馬は道草を食ってばかりの一行に贄を切らしては沙悟浄を引き連れて先に行ってしまい、猪八戒はQuitoまで三蔵にお供していたものの来年3月から日本に出稼ぎに行くことが決定したので故郷Méxicoに帰っていきました。
天竺に続く長き道のり、残された三蔵と悟空の前に現れたのは…。
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三蔵法師達は猪八戒とこの旅最後の夜を、Cotopaxi山麓で迎えました。


ところが盛大な宴を以ってして猪八戒を見送る一行に、いつの間にか見覚えのある顔が加わっているではありませんか。


それは当の昔に白馬と共に先を急いで三蔵の下を離れていった沙悟浄(Immo)でした。



三蔵「一体どうしたというのですか沙悟浄。」
沙悟浄「白馬といったら毎日物凄いペースで走るもんで、とてもついて行けないのです。それに言葉もロクに通じないこの地を独りで旅するのはおっかなくてですね。」
悟空「一人旅が怖いって子供じゃないんだからさぁ…。それに、これから何処行くか知ってる?」
沙悟浄「もう何処へでも連れてって下さいな。独りになるのはまっぴら御免で。」



そう、一行はこれからCotopaxi山から約150km南南西に位置するEcuador最高峰のChimborazo山に向かうところなのでした。



2016.12.26
当初の計画では多くのサイクリストと同じくAmbatoからRiobambaにかけての周回コース(青ライン)を考えていたものの、"Via Flores"(赤ライン)は距離は少し長くなるとはいえ僅かな農村部を通る静かで美しい道という点で断然オススメということ(しかも温泉がある敷地でキャンプができる!)。




その道を選んだのは大正解。通る道を少し変えるだけで、自分達の気分もその土地の印象も全く異なってくることを痛感。






川沿いで長閑かに昼食…とはいかなかったものの、



Ambatoから40kmひたすら登り到着したのはCunuyacuの湯治場。
三蔵と沙悟浄は夜が更けてからも星空を眺めながら温泉に浸かりっぱなしでした。






そして、いよいよChimborazo山に差し掛かろうという翌朝。


マイペース沙悟浄「あの〜、これからもう一回浸かってる時間て無いですよね…」
せっかち孫悟空「良いんじゃない?俺はもう先行くけれど」





じゃじゃ〜ん




しかし美しき山の頂きを臨めたのは遠くからのほんのひと時、


午後2時に4300m地点にある入場口を越えた頃には辺りはすっかり深い霧に包まれ、


三蔵法師は喘息持ちなので激しい息切れに悩まされ、


天竺どころか、今夜の寝床にさえ辿り着くのは容易ではないことを思い知らされる登り坂2days。






それでもキャンプ場所となる4850m地点に到達したときの歓喜と達成感は一行の絆を深めるには充分なものでした。










翌日に孫悟空は5300mまで登ってはキャンプ。生まれた華火山を思い起こさせたのか、はたまた北日本の厳しい冬を懐かしんだのか終始ご機嫌な様子でした。


良かったですね〜。





2016.12.14〜12.24迄





















2016/12/20

旅は道連れ自転車で"番外編" 〜Muchisimas Gracias Eduardo!! 彼は3月から日本で頑張ります〜








9月上旬、僕達は大都市Mexico Cityに入る手前で計画を練っていた。

TeotihuacanやEstadio Aztecaなど見所多々とはいえ、ラテンアメリカ最大の都市のド真ん中をフル装備の自転車で走行するのは気が引ける。だから都心から少し離れたトコロで僕達を迎えてくれる人はおらんだろうかと企だては、Duchas Calientes(Warmshowers )でたまたまEduardo(Lalo)のプロフィールを見つけて連絡してみたのが彼と知り合うきっかけとなった。














彼はそんな様子は僕達に一切見せなかったけれど、本当に人生の苦しい時期の真っ只中に居た。

最愛のお母さんは3年の闘病生活の末に半年前に他界。

お父さんとお兄ちゃんだけでなく他の親戚達まで看病はLaloに任せっきりだったというし、当時唯一の心の支えであったとも言える恋人は仕事を辞めて看病に専念する彼を理解出来ず離れていったという。

Laloの支えも実らずお母さんは去り、そして彼は絶望の淵に突き落とされながらも考えなければいけなかった。

これからどうやって生きていけば良いのかと。









どうしてか、元々日本に興味を持っていてた彼は思い切ってJICAの国際協力プログラムに応募してみた。

そして自転車旅行も良いなと思い始めた。
こんな家にもう未練なんか無いしとにかく何処かへ行ってしまいたい。なんだか自転車で旅している人達も結構居るみたいでそんな感じに放浪するのも悪くないよなと、何となくDuchas Calientes(Warmshowers )に自分のプロフィールを載っけてみたのが数ヶ月前のこと。そんな彼に初めて連絡してきた自転車乗りが日本人の僕達だっていうのだから面白いもんである。



僕達は彼の家に図々しくお邪魔しただけだったけれど、知らず知らずの内に彼の背中を押していたようだ。

彼の家を出るとき僕達は彼と一緒3人だった。






それでも道中にMexicoの味が恋しくなってはtacos作りに没頭するLalo























約3ヶ月も一緒に居たから色んなことがあったけれど、とにかくEcuadorの首都に着いた時にJICAが彼に日本行きのチケットをプレゼントしたのを知ったときは最高だったね。

これから日本で何が君を待ってるのか僕達も楽しみだよ。




今度会う時は日本語で喋ろうって約束したんだ。
















2016/12/06

旅は道連れ自転車で con Lalo!! 〜Ecuador vol.2〜

◆ここまでのあらすじ◆

三蔵法師(Shizuka)は孫悟空(tomoki)と猪八戒(Lalo)と沙悟浄(Immo)と白馬(Hannes)と共に天竺(norte argentina)へお経を取りに自転車を漕ぎ始めました。
しかし道中で猪八戒は膝を痛めてしまい、白馬は道草を食ってばかりの一行に贄を切らしては沙悟浄を引き連れて先に行ってしまいました。
エクアドルに入り早9日目というのに、一行は未だ100km程南下しただけで白馬と沙悟浄との差は広まる一方なのでした。
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朝8時。
スタートして100mも走らない内に、Mexico出身の猪八戒は突然自転車を降りては包丁を片手にガードレールを跨ぎました。

猪八戒「あ〜オカシイったらありゃしないでしょお師匠さんよ?どうしてEcuadorではNopalesを食べないんでしょうなぁ。」


猪八戒「豊富な繊維質とミネラル・ビタミンを含む"食べるサボテン"を"食べない"っていうのは、とんだ捻くれ者でっせお師匠さん、ねぇ!?」



三蔵法師「早く行こ〜よ〜!!」
悟空「沙悟浄と白馬って誰だっけか。」












お昼過ぎ。一行はOtavaloという街に到着しました。

三蔵法師「沙悟浄達とは何里離れてしまったのでしょう。」

悟空&猪八戒「そんなことよりよ、スーパーの前でパンを売っているお方が何だか俺たちを呼んでるぜ。自転車を持ってら。」


「僕ん家に泊まっていきなさい」だってよお師匠さん!!





ArgentinaからEcuadorの小さな家に越してきて、全粒粉パンを作って生活しているCarlosは一行を自宅に招いてくれたのでした。








此処を基地にしては猪八戒はパン作りに勤しみ、


悟空は連日のように街中至る処でキィキィキイキィ鳴き廻り、


三蔵法師はというとそんな二人に気が病んだのか、はたまたプールの水が冷たかったのかして風邪を引いては1週間寝込んでしまったのでした。








日本語を勉強する猪八戒






三蔵法師の体調も回復し、この街を出発したのは到着してから9日後のことでした。病み上がりの三蔵法師を待っていたのはmitad del mundo(赤道通過地点に位置する村)に繋がる険しく長い登り道でした。

2016.12.01




明日も上るんすかね…。





朝ご飯食べて直ぐに上り坂ってのは身体にどうなんですかねお師匠さん…。




でででで〜ん


まあ、楽ではないですけれど







辛いことばかりでもないでしょう。






2016.11.22〜12.02迄