2015/03/22

Buenos Airesへ

ついつい、そういう風に想ってしまう。そして、たまに怖くなるときがある。

これを、当たり前に思ってはいけない。





ここ数日、激しく感情が揺さぶられ続けている。

そして今、何かが大きく変わろうとしている。

そんな予感がしている。



どうなるのか、本当にわからない。



ただ何れにせよ、この先どうなるにせよ



良かったのだ。



あのとき、

旅に出ようと決めたのは間違いではなかった。

僕達は皆、幸せと共に此処に在るのだということを、君は忘れてはいけない。


◆TolhuinからBuenos Airesまでの移動経過◆

◎3月15日
【Tohluin】
僕達の出発前夜、Panaderiaの皆は総出で送別会を催してくれる。




◎3月16日
【Tohluin - Rio Gallegos】
早朝、彼らが用意してくれたBusに自転車2台を積む。夕方、約500km北にある街Rio Gallegosに到着。


◎3月17日 - 18日
【Rio Gallegos】
朝8時からYPF(GS)にてヒッチハイク交渉。3時間後、1人の運転手と交渉成立。出発は明後日。
夕方、同じくYPFにて時間を潰していると1人の男が声を掛けてくる。聞くと僕達を家に招待するとのこと。テント泊もガソスタに一晩中居座る必要もなく、彼の家に2泊。




◎3月19日
【Rio Gallegos - Trelew】
朝10時、YPFにてトラック運転手Juanと再会。2500km離れたBuenos Airesまで、自転車2台積んでのヒッチハイク成功は奇跡。





◎3月20日
【Trelew - Bolivar】
深夜、Juanの自宅があるBolivarという町に到着。奥さんが遅い時間にも関わらず夕食を用意してくれる。




◎3月21日
【Bolivar - Lujan】
日中、Juanの子供達4人と遊びasadoもご馳走になっては、17時にBolivar出発。22時過ぎにBuenos Airesから60km離れたLujanに到着。レストラン裏で、テント無し野宿。








◎3月22日
【Lujan - Buenos Aires】

Panaderiaで知り合ったBuenos Aires在住のPabloが、友達の車と共に僕達を迎えに来てくれる。夕方、遂にBuenos Aires到着。


2015/03/16

Argentinaの最南端から

Pablo, Janita,Oriolと別れてから、どうして僕達がTolhuinに、Panaderia La Union に45日間も留まったかというと、梓朱花の膝の状態が思わしくなく、休養を取るにはここが現時点で最適な場所だと考えたから。


けれど、その間にちょっとした事故も起きて、結果こうなった。



現在の状況、心境というのは当たり前ながら常に変化していてそれを的確な言葉に言い表わすのは難しいのだけれど、とにかく僕達は、今すぐに自転車旅を再開するというのが困難になってしまった。


じゃあ、これからどうすべきなのか。

毎晩、考えたくなくても考えざるを得なかった。

難しく、もどかしい日々が続いた。


今だってそうさ。








けれど、そんなことよりさ



そんなことより、今強く想うことは



ひとつの疑問みたいなもので



どうしてなんだろう。



どうして彼らは、こんな僕達のことをこんなにも優しく包み込み、見守ってくれるのだろうかってことだ。



どうして彼らは、こんな僕達に温かな手を差し伸べてくれるのだろうかってことなんだ。






要望&手助けにより、Panaderia初の寿司パーティーを開催


Tierra del Fuegoの美しい環境を守るため「BASURA CERO」の活動に参加