2014/12/03

チロエ島 〜Isla de Chiloe〜

◎12月1日
【Puerto Montt - Lecam】82.25km
チロエ島に入ると、高速道路でなく海外沿いの道を選択。水平線上にアンデス山脈が乗っている。
夕方、縁側で一休みしているお父さんに声を掛けて敷地内でテントを張らせてもらう。
これが、とある家族との出会いの始まりであった。




◎12月2日
【Lecam】




翌朝8時半にテントから這い出て荷物をまとめ始める。そのとき、お母さんのDanielaが近付いてきた。「〜desayuno?」という単語が聞き取れた。朝食を食べていく?と声を掛けてくれているではないか。

実は昨日は娘さんの誕生日当日で、敷地内にテントを張るのを許してもらっただけではなく、誕生日会参加&ケーキまでご馳走になっていたのだ。もう充分頂いたというのに…。

朝食中、お父さんのAdonisがしきりにもう一泊していきな、と誘ってくる。冗談に聞こえた。それに、既にお世話になり過ぎたので断る。御礼のつもりで皿洗いをした後、最後に皆で記念撮影をする。

それでもAdonisは、僕達の顔色を伺う様にしながら「泊まっていきなよ」って声を掛けてくる。どうやら、本気で呼び止めてくれているのだ。
どうしてこんなに誘ってくれるのか。理解し難かった。けれど梓朱花と相談した後、今日はこの人達と一緒に過ごすこと決めてみた。
「…Por favor」と言うと、Adonisは手を叩いて喜び、すぐさま仕事に出て行った。



午前中はDanielaと共に家の掃除から始まり、昼食のパンを捏ねたりCazuela(野菜等を煮込んだ料理)を仕込んだりしてあっという間に過ぎた。
Danielaは17歳のときにAdonisと一緒になり5人の子供を育てるお母さん、まだ34歳。気さくで、素晴らしい人だった。

14時になると子供達が学校から帰ってきた。皆、昨日来た日本人2人は既に出発したもんだと思っていたらしく、「まだいたの?」って驚いていた。




子供達と共に、昼食をたらふくご馳走になった後は、サッカーをして遊んだ。トランプもした。林の中を進み、小川で魚釣りもした。その帰り道は、「近所の恐い叔父さんの敷地が近道だから」と、有刺鉄線の柵をよじ登って叔父さんの眼を掻い潜る様に家路に着いた。大変な帰り道だった。




家に着くとDanielaがパンとコーヒーを用意してくれていた。
落ち着く間もなく、子供達は次は海へ行こうと言う。散々はしゃぎ回りながら海まで歩いた。
ボートを漕いだ。別にどこに行くわけでも無いんだけれど海を行ったり来たりした。浜辺に着くと、そこに放置されている何だかよくわからないが黒くて四角い馬鹿でかい物を運ぶから、と子供達が言うので総出でボートに積んでは、夜の海を漕いだ。





家に着いたのは22時過ぎだった。
Danielaは夕食と、そしてベッドを用意してくれている。


◎12月3日
【Lecam - Castro】102.85km
翌朝、インコにつつかれ起こされる。子供達は既に登校して居なかった。
朝食が用意されてある。

Adonisは僕達より先に食べ終わると、笑いながらまた来てね、と言って山に向かっていった。
僕達は再び皿洗いをした。そして自転車に荷物を積み始めた。
Danielaが木で出来た魚のプレートに家族全員の名前を記しては、僕達に渡してくれる。
別れの時、皆の眼が、涙で潤んいた。

僕達は自転車に乗った。Danielaが手を振ってくれている。僕達は、何度振り返ったことだろう。

一昨日、この道を選んだ日本人2人は疲れ切った中で、たまたま声が届く距離に座っていた男性に声を掛けただけだ。
其処に暮らすチリ人一家は、大量の荷物をくくりつけた自転車を押し歩く、しかも日本人が家の前を通り過ぎるということを、物珍しく感じただけなのだ。




◎12月5日
【 Castro - Lago Natri】47.09km




◎12月6日
【 Lago Natri - Quellon】45.72km






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