2015/01/11

Venga! Fernando!!



◎1月7日
【El Chalten】
いよいよ明日、出発だ。此処El ChaltenからEl Calafeteまでは約230km。3日で着けるだろう。

サイクリストに無料で寝床を提供しているFlore家での最後の夜。Floreの母、Anaは今日も僕たちの為に料理の腕を奮ってくれた。今夜は、クレープ生地に小松菜を包みホワイトソースとチーズをかけてオーブンで焼いてくれている。ここでの約10日間。FloreとAnaは本当に優しかった。僕たちのわがままを全て飲み込んでくれたし、何でも与えてくれた。

Anaの手料理とビールを囲んでいつにも増して盛り上がる夕食のひと時。

その最中、いつの間にからか「じゃあFernandoも一緒にEl Calafateまで行こうか」ってな感じに話が膨らみ始めた。

可愛い子には旅をさせろってわけだけれど…本当に連れて行くの?

大丈夫か?



僕達がここに来てからは10日しか経っていないし、その間に4日間のトレッキングにも出ていた。だからFloreの息子Fernando(以下Fer)の事は大して知らないのだけれど、それでもとりあえず彼がどんな子供かというと、11歳の小太りでとっぽい感じ。外でより家の中で遊ぶのが好き。ひとりで人生ゲーム(ボードゲーム)をして盛り上がっているからね。得意なことはお母さんやおばあちゃんが作った料理を採点評価すること。

内気な子。本当に内気な子だ。



夕食後、Pabloは落ち着きを取り戻した台所の円卓にFerを呼んで2人だけで最終面接を行った。Ferの荷物や明日からの3日間の食糧は僕たちが運ぶから心配ない。それより寒さを凌がなければならない。向い風の中でも進み続けなければならない。雨が降るかもしれない。暗くなる前に野宿ポイントを探さなきゃならない。
聞いたらFerは自転車には1時間以上乗ったことはないらしい。それは普通だとしても、まずいのはスポーツ大嫌い。

Pabloも相当迷った。しかし彼は乗り気だった。

僕達は4人で出発することになったのだ。


◎1月8日
【El Chalten - Estancia San Joaquin】32km



翌朝、彼はレゴの人形を持っていた。夜、キャンプしながら遊ぶんだって。

けれど出発して早くも10km時点で彼はバテている様子。おいおい、まだ50kmは進まなきゃいけないんだぞ。Pabloが長距離を走るコツを丁寧に伝えても言うことを聞かない。がむしゃらにこいでは休んで、またがむしゃらにこいで休んでの繰り返し。立って漕いで座って漕いでと姿勢も落ち着かないし、アスファルトを外れて砂利道を無駄走り。こりゃダメだ。



早めに休憩をとって、Ferのやる気を再確認すると、「走る」って言う彼の口はとんがっている。Pabloが僕に相談してきた。
「無理かも。この後もこんな感じだったら明日ヒッチハイクで帰すという考えも浮かび始めている。勿論、Ferには諦めて欲しくない。けれど無理に走らせたくはない。自転車に乗ることを苦痛に感じたままに終わらせるのは、避けなければ。」

決断するには早過ぎる。けれど、するなら早い方が良い。だってこの先、パンパ(Aregentinaの草原地帯)には何も無いから。一面に広がるピンチャ(草原に生える刺々しい雑草。パンク、テント破れの原因となる)と吹き荒ぶ強い風は、テントを張ることを簡単には許してくれない。この辺りには川が無いから飲み水の確保も大変だ。



休憩後のFerはよく頑張った。細かい休憩を何度も挟んだというのも功を奏したのだろう。21時を過ぎてからポツンと現れた農家の敷地内でテントを張ることが出来た。
夕食の最中、彼は木登りしながらレゴで遊んでいた。


◎1月9日
【Estancia San Joaquin - Luz Divina】60.99km



出発から風に押され気持ち良く25km駆け抜けたというのに、Ferは「景色も道も単純でつまらない」とボヤく。けれどRuta40に入った途端の強烈な向かい風には5kmも進まない内に音を上げてしまう。
El Calafate迄の唯一の食糧補給場所と見込んでいた場所でも、望んでいた食糧は調達出来ないまま今日の走行は切り上げ。今夜は元々レストランだったであろう廃屋で夕食就寝。



廃屋に着いてからのFerはとても活発だった。汚かった部屋を掃除してベッドや木の板を運んでは食事テーブルを作ってくれた。壁に皆の名前と今日の日付を記したりもした。僕たちにも慣れてきたんだろう。随分と彼のほうから話しかけてくれるようになったし、途中から現れたフランス人のヒッチハイカーにも積極的に話しかけているFerを僕は強く記憶している。




◎1月10日
【Luz Divina - Ruta11沿い】78.88km



Pabloは常にFerに付き添って走っては、最も近い距離から彼のことを見守り続けていた。そして元々、彼はFerの家族事情にそれなりの興味を抱いていたみたいだ。彼の家族構成・環境が複雑なのは僕もわかっていた。
「お父さんはどうした」と尋ねてみる。
「会ったことはない。遠くの街に住んでいるのは知っているけれど…良く知らない」
Ferのお母さんもお婆さんも底知れない優しさの持ち主だ。行動的で、話し好きな人達だ。だからこそ、僕たちはFerに対してひとつの疑問を抱いたままだった。
なぜ、彼女達とFernandoはこんなにも異なっているんだ、と。

Pabloは言う。
「僕にも全てはわからない。けれどFerの眼は何かに怯えているかのように僕には映るし、既に心の中に何かしらの不安要素を抱えていると思う。学校か、または他のどこかで虐めらていた経験もあるのではないか」と。

時刻は20時。この日の走行距離は既に60km、El Calafateまで残り30kmも、ここからは強烈な向かい風だから今日到着するのは不可能。それでも食糧がもうすぐ底を尽きるから遅くとも明日の昼過ぎには到着したい。だから、もう少し走っておきたい。PabloはFerにもうひと頑張りしてもらおうと、ここまで走りを褒め讃えながら奮起を促す。Ferは笑顔で、再び自転車に跨った。



けれど彼は既に限界だった。
もう走れない。
けれど戻っても何かあるわけじゃない。

強風に煽られながらテントを張れる場所を探すべく、道路の両側至る所に目を配る。
左側、遠い向こうに農家らしき建物と風を凌げるであろう数本の木が立っているのが見える。けれどあまりにも遠すぎる。また暫く進み続ける。何も見えてこない。
Ferが自転車から降りた。我慢出来なくなったのだ。サングラスを外し、手を膝に置いては少し屈んだ。
泣いている。



結局、この日僕達はテントを張る場所を見つけられなれないまま、最終的には道路脇下、土管型の側溝を選んだ。その中で料理をして、眠った。
Ferは埃アレルギーを持っていて、その夜は本当に酷い咳き込み具合だった。僕は、彼の為に何も出来ないことを悔やんだ。側溝の中で、埃と寒さに耐える彼の咳の音を聞いていると、彼にとってのこの4日間の自転車旅行は果たして本当に彼の為になったのだろうかと、ついつい思わざる負えなかった。
梓朱花は「そっとしておくのが1番」と、それだけだった。彼女は僕より冷静だった。




◎1月11日
【Ruta11沿い - El Carafate】21.44km
朝8時、土管から這い出る。今なら幾分風が弱いから、その間に残り僅かな距離を走り切ってしまおう。いつまでも側溝の中に居たくもないしね。
El Calafate前の最後の登り坂。また自転車から降りるFer。「しょうがねえなぁ!」って具合にPabloが右手一本でFerの自転車を掴んでまま、自分の自転車を漕いで坂を上がり切る。





全く、気が気じゃない4日間だった!
El ChaltenからEl Calafateまでをこんな風に走るだなんて。


街に入った直後、タクシーに乗ったFloreとAnaとすれ違う。彼女達は既に昨日、El Calafateにバスで入っていたのだけれど、到着の遅い僕たちを心配して様子を見に行くところだったのだ。
自転車を道端に置くFer。タクシーから降りるFloreとAnaがFerを抱き締めた。また泣きべそかいてさ。

よくやったじゃないかFernando。













0 comments:

コメントを投稿